「ずーっと欲しかったのに手に入らないもの」についての考察

 

...「ずーっと欲しかったのに手に入らないもの」についての考察


こんにちは、イングリッシュ・ドクターの西澤 ロイです。
 
僕は英語を教える人ですけど、それだけじゃなくて、
心理学とかもいろいろとやっています。
 
英語を話せるようになる上で、メンタルって
とても大事ですから、教えるために心理学って
欠かせません。
 
さて、人気の心理カウンセラー、根本裕幸さんが
非常に興味深いことをブログに書いていらっしゃい
ました。
 

子どもの頃からずーっと欲しくて、
でも、親も与えてくれなくて、
パートナーに求めても十分得られなくて、
もう自分には手に入らないんじゃないかと
絶望にも似た気持ちになることってありませんか?
(中略)
ずーっと欲しかったのに、手に入らなかったもの。
(中略)
「それはあなたが与えに来たもの。」

 
これ、すごく深いと思いました。
 
僕はちょっと違うけど、似たような捉え方を
しているので、ものすごく響いたのです。
 
僕は約10年前に、ほぼ2年間、毎日のように
自分の心と向き合った経験があります。
 
そして、嫌だった過去の出来事を思い出し、
それを癒していくということを、
2年間やったことがあります。
 
その時に感じたことなんです。
 
自分が本当に欲しい形の愛情は、
親が与えてはくれない。

 
なんていうのかな、
「こういう愛され方をしたら嬉しい」
という「ストライクゾーン」みたいな
ものが、人それぞれあると思うんです。
 
でも、それがうまく満たされることって
ほぼなくて、欠乏感というか、
渇望感のようなものを感じてしまう人が
多いんじゃないかと思います。
 
僕は、心と向き合った結果として
こういう結論を出しました。
 
親に求めるのが無理なことだった、と。
 
これは別に悲観でもなんでもなく、
仕方のないことです。
 
子どもの頃の僕が、自分で本当に何が
欲しいのかを分かっていたわけでもないし、
 
親という他人が、自分の本当に欲しい
ものを分かってくれるはずもないし。
 
仮にうまく伝えられたとしても
親がそうしてくれるとも限りませんからね。
 
だからまず、無理なものを欲しがって
「愛されていない」とか思っていた
自分がいたことに気づいたんですよね。
 
ああ、勘違い。
 
そうじゃなくて、親はきちんと
愛してくれていたわけです。
 
僕のストライクゾーンには、球が
こなかったかもしれない。
 
でも確実に、たくさんの球を
いつも投げ込んでくれていたんですよ。
 
この「球」が愛情だとすると、
昔の僕は、本当に愛情を受け取って
いなかったですね。
 
***
 
さて、自己啓発をやっていると
こういうことが言われます。
 
ブーメランの法則。
 
要するに、自分のやったことが
返ってくるんだと。
 
そして、他人は鏡なんだと。
 
・・・ある時、ふと気づきました。
 
自分のストライクゾーンに
球を投げてもらいたいのであれば、
 
同じように、他人に対してその
「自分のストライクゾーンの球」
を投げるしかないのではないか、と。
 
それを繰り返していたら、
その球をいつか、その相手が
自分に対して投げ返してくれる時が
くるのではないか・・・と。
 
愛してくれない、と嘆くよりも、
その方がずっと建設的だと思いますので、
ただいま長年をかけて実験中です。
 


  • この記事を書いた人

    イングリッシュ・ドクター 西澤ロイ

    イングリッシュ・ドクター(英語のやさしい“お医者”さん)。
    英語が上達しない原因となっている「英語病」をなおす専門家。
    TOEIC満点(990点)、英検は4級。獨協大学英語学科を卒業。言語学を専攻。

    著書に「頑張らない英語」シリーズ(あさ出版)、新刊『英語学習のつまずき50の処方箋』(ディスカヴァー21)など、計11冊で累計17万部を突破(書籍の一覧はこちら
    日本人が「英語ができない時代」を終わらせることを目指して日々活動中。